911テロへの〝祈り〟と『明日の言付け』

 アメリカ同時多発テロ事件から10周年です。この事件は、「宗教対立の始まり」になったような気がします。過激なテロ思想を持つ人間は僅かにも関わらず、欧米社会の不安不信を恐ろしく高めました。「テロとの戦い」は終わる様子がなく、アメリカは過大な安全コスト増を強いられています。

 一方、宗教対立の当事者ではない日本社会は、安全コスト増加があまり見られず、「一つのテロ事件」という見方ができているような気がします。つまり、テロが連鎖しないことへの希望が持ちやすい〝立ち位置〟にあるのです。

 『明日の言付け(一青窈)』【著者に会いたい】

 一青窈さんの出版本に『明日の言付け』があります。“言付け”の検索で唯一出てくる出版物です。本を読んだわけでないのですが、どんな形でもいいから、好きな人には思いを伝えてほしくて、【言付け】さえすれば明日に伝わっていく、という考えで付けたタイトルが『明日の言付け』らしいです。

 一青窈さんの大ヒット曲『ハナミズキ』は、「9・11テロ」への想いが歌になったと言われています。後に、『ハナミズキ』をモチーフにした映画では、純愛ラブストーリーになっていますので、「9・11テロ」との結び付きばかりに偏るのを望んでいないのかもしれません。

 『ハナミズキ』は、愛する人の幸せを願う祈りの歌であるという前提で語りますが、「テロによる戦争連鎖」に対抗して、「やわらかな気持ちが連鎖してほしい」という思いを、ハナミズキ(花水木)に託して表現した〝祈り〟の視点が含まれています。

 「やわらかな気持ちが連鎖してほしい」という〝祈り〟には、「やさしい気持ちを持てるはず」という‘人類の進化’を願う理想が込められています。「今後、このようなことが起こりませんように」のような〝反省の祈り〟ではなく、誰もが参加できる〝生きる希望の祈り〟を歌うことができたのは、恐怖の連鎖を断ち切る自信があったからだと思います。

 目前で相手からの脅迫を受けている中で、恐怖の連鎖を断ち切るのは非常に難しく、単なる現実逃避に陥ってしまう危険があります。対話が出来る相手であれば、相手からの脅迫を抑止できるのですが、そういう関係でなければ難しいでしょう。このように考える私は、対称性のないテロ戦争が終わるようには思えません。

 個人の生き方なら良いのですが、理想の言付けを信じれば、社会の未来を変えられるという理念は、ある意味でのイデオロギー志向です。911テロ後の世界を見て、【言付け】による希望は大切ですが、それだけでは難しいというのをつくづく考えさせられました。自分の結論を述べて盛り上がる【言付け】は、自分が単純に信じられるものばかりではないのです。。。