「グレート・リセット」は、「根本病」なのか

 橋下改革(ハシズム)のことを「グレート・リセット(大いなる再起動)」と呼ぶらしい。まるで、「政権交代なくして成長なし」という掛け声だけで支持を集めた民主党を思わせるような「ワンフレーズ・ポリティクス(ワンセンテンス・ポリティクス)」です。しかしながら、既得権や旧体制を破壊する意気込みは同じでも、市民に過去や常識を捨てるように迫っている点で、少し違うのかもしれません。

 「グレートリセット」と似たようなキャッチフレーズを語った例としては、小泉改革コイズム)で使われた「痛みを伴う改革」「改革なくして成長なし」などがあります。小泉改革は、橋下改革と同じネオリベラリズムの立場から行財政改革を成功させたと私は評価しているのですが、国民が直接的恩恵を実感することがなかったために、未だにネオリベラリズム反対派の標的にされています。小泉改革が失敗だったのであれば、また元に戻せばいいのですが、そういう議論はあまり見かけません。唯一の人材派遣問題の議論でも、本質は正社員との格差に有るのですが、ネオリベラリズム反対派はそこには触れません。結局、「官から民へ」という民営化政策だけでは、国民の直接的恩恵が実感できなかった点が、「痛みしか生まなかった改革」という反対派による印象操作のタ−ゲットにされたのでしょう。

 こうした点を意識してなのか、橋下改革では「選択と集中」の意向が色濃く反映されているような気がします。現役世代の無党派層が直接的恩恵を受けるような政策や、特区構想などで他県よりもヒト・モノ・カネなどを呼び込みやすい有意な政策などは、反対派の攻撃を押さえ込む一定の支持確保につなげることができるかもしれません。


 いずれにせよ、財源減少の中で低下せざるえない行政サービスの劣化には、強い不満が沸き起こるでしょう。「自分が損を被るのは嫌な人」による利己主義(エゴイズム)の対立が避けられないのですが、受益と負担のバランス調整は市場原理でなければ不可能です。相対評価による市場原理を無視することは、市場独占という絶対主義であり、市場評価を排除する連帯独裁(組合独裁など)につながるものです。

 全てが平等という軸での弱者意識は、とてつもない欲望を生み出し、際限のないバラまきを生み出してしまいます。利己主義(エゴイズム)の争いを治めるには、理性的にシステム化された市場原理で説得する以外にはありません。連帯意識の下に、利他主義アルトライズム)が内向きになっている市場原理反対派(労働組合)は、企業家(資本家)からの富の略奪しか頭にないでしょうけどね。

 などと言いつつも、 橋下改革はまだ始まっていない状態なのでこういう議論をしても仕方ありません。そこで、「グレート・リセット」という言葉が、「根本病」として揶揄されていることについて考えます。何だか「反ハシズム(反独裁)」と似たような気がするんですが。。。


 「根本病」とは石橋湛山が名づけたもので、右翼と左翼の暴走が根本問題への執着にあったとするところに由来しています。

「記者の観るところを以てすれば、日本人の一つの欠点は、余りに根本問題のみに執着する癖だと思う。この根本病患者には二つの弊害が伴う。第一には根本を改革しない以上は、何をやっても駄目だと考え勝ちなことだ。目前になすべきことが山積して居るにかかわらず、その眼は常に一つの根本問題にのみ囚われている。第二には根本問題のみに重点を置くが故に、改革を考えうる場合にはその機構の打倒乃至は変改のみに意を用うることになる。そこに危険があるのである。
 これは右翼と左翼とに通有した心構えである。左翼の華やかなりし頃は、総ての社会悪を資本主義の余弊に持っていったものだ。この左翼の理論と戦術を拒否しながら、現在の右翼は何時の間にかこれが感化を受けている。資本主義は変改されねばならぬであろう。しかしながら忘れてはならぬことは資本主義の下においても、充分に社会をよりよくする方法が存在する事、そして根本的問題を目がけながら、国民は漸進的努力をたえず払わねばならぬことこれだ」
(「改革いじりに空費する勿れ」昭和11年4月25日『東洋経済』社説)。
▽参考URL
田中秀臣「二・二六事件と“改革病”」

 以上のような内容なのですが、この文脈はイデオロギー対立が生きていた時代の話であり、橋下改革にそのまま当てはまるとは限らないというのが私の感想です。「根本病」というネーミング自体はいいのですが、イデオロギーのことを指しているのであれば、橋下改革とは性質が違うのではないでしょうか。橋下氏は、右翼とか左翼とかに執着がなく、ただビジネス感覚を徹底させたネオリベラリストにすぎません。ぶち上げる構想はあくまでモデルの一つであって、己が築き上げた高尚な理想とはとても思えません。構想を常に検証し続ける姿勢は、現実的な合意だけを追求しているビジネスマネジャーというべき政治家です。

 これまでの論争でも、大阪都構想なんて、ただの枠組みなのでどう変わるか全くの未定のものと理解している市民が多いはずです。反ハシズムの論陣も、橋下氏の政治構想が、「曖昧すぎて中身が分からないから不安だ」という批判で占められていたはずです。それが、今度はガチガチの「根本病」呼ばわりというのは完全な矛盾です。毎度毎度、橋下改革を批判したい人には違和感を覚えてばかりです。「反逆病」とでも名づけたいくらいにw