『流言』を防ぐ、【言付け(付言)】と【言伝(伝言)】の峻別

 『流言』が拡散しやすいのは、結論ばかりを述べる「ツイッター」「掲示板」などの短文メディアです。ブログなどの長文メディアでは、論拠や理由が述べてあることが多いので、ブログ記事自体を発信源として扱うことが可能になります。検証プロセスが確保できる情報は、『噂』や『デマ情報』であっても、『流言』とは呼べないものです。

 『流言』は、‘情報経路’を尊重するがあまり、自分なりの検証が行えず、結論だけを信じる場合に広がります。‘情報経路’を尊重するのは、人間関係に縛られるからです。さらに、ネットの場合は、盛り上がりたいので大同反応が強くなってしまい、『流言』を楽しむ傾向さえ見られます。


 ‘情報経路’が厳格であるはずの組織において、『流言』を広めてしまう現象は「伝言ゲーム」と揶揄されます。東日本大震災による福島原発事故において、政府内に間抜けな「伝言ゲーム」が発生していたようです。【言伝(伝言)】は、意思や意向を排除した事実だけを伝えるものです。意思や意向を含めたものは、【言付け(付言)】であり、“らしい”という推量が込められるものです。

 「伝言ゲーム」に対して、あえて「付言ゲーム」というものを定義してみると、話題の対象がどのような偏見を持たれているかを焙り出すものです。「どうせ〜じゃない」みたいな帳尻あわせの推量を発見するには、有意義なものです。『デマ情報』の分析には、「伝言ゲーム」と「付言ゲーム」の両方の視点が大切だと言えるでしょう。


 そもそも、『流言』を広げてしまうのは、知らないことで損をするという‘格差不安’が第一の要因であり、‘情報経路’は二番目の要因です。‘格差不安’がなければ、‘情報経路’が混乱しても、修正が容易な気がします。‘格差不安’とは、他人への不信感であり、裏切りの恐怖が、牽制するかのような『流言』を生み出してしまいます。

 福島原発事故における『流言』も、東京電力への不信感が生んだものであるという解釈を明記した反省が必要だと思います。いずれにせよ、事実だけの【言伝(伝言)】と意思を含む【言付け(付言)】を峻別する意識を持ったコミュニケーションを心掛けなければなりません。