『託す』と『任す』の違い(「信託」と「信任」、「委託」と「委任」)

  「たくす−たくされる」関係の『託す』は、間接する仲介を通じて、‘コト’の代理をお願いする意味です。‘コト’という内容を限定したお願いなので、直接的な人間関係を必要としません。仲介するもの(者、物)は、特定の人間が基本だったのですが、ネットメディアの発達により不特定な人間に向かって『託す』表現が可能になり、「言付け」コミュニケーションという新しい定義が生まれた訳です。

 一方、「まかす−まかされる」関係である『任す』は、‘コト’ではなく‘ヒト’の代理を期間においてお願いする意味です。‘ヒト’に命令する支配なので直接特定の人間を求めます。期間で決まる「任」のお願い内容は、解かれるまで変動し続けるものであり、お願い内容を固定する場合は「特任」という表現になります。

 『託す』は、個別にお願い内容を限定するので、契約する「約定」に近いものであり、「託言」という表現もあります。対して、『任す』は、個別的内容を定めない「約束」に近いものであり、「任言」という表現はありません。


 「信」の熟語で見ていくと、「信託」は、「トラスト(trust)」に近く、正直さ(truth)や善意の思いによって個別に形成する信用の意味です。「信任」は、「コンフィデンス(confidence)」に近く、能力や人格などの評価によって統合的に形成する信用の意味です。

 「セルフ・コンフィデンス」を「自信」と訳すことがありますが、「自任」と訳す方が、責任感があって良いような気がします。因みに、「自負」は、負わされることを肯定的に受け入れる日本独特の意味なので、英語を当てるのは難しいと思います。「プライド」は、「自尊」になりますし。


 『任す』と似た表現に「委ねる」がありますが、「細かく従わせる」意味が強いのが「委ねる」になります。「身を任す」と「身を委ねる」を比べると、「委ねる」の方が奴隷的なニュアンスがあります。

 「委託」は、資源的な限界を補うために、‘コト’という内容を限定したお願いです。「委任」は、能力的な限界を補うために、‘ヒト’の代理を期間においてお願いする意味です。しかし、私が考える『託す』と『任す』の違いは、法律用語の「委託」と「委任」とは別物なのでご注意ください。

 法律上の「委託」は、個別的内容を明示して、一定の行為を依頼することであり、「請負」や「寄託」との対比で説明されます。「委任」は、法律行為の‘委託’であり、「準委任」として、法律行為以外の事務処理の‘委託’を扱っています。


 さて、【言付け】を扱うブログとして注目するのは、「委任状」という制度です。「委任状」は、「託言」であり【言付け】ではないのか、という疑問が出てきますが、私はこう解釈します。「委任」は、「オーソライズ(authorize)」することなので、「オーダー(order)」する「託言」でもなければではなく、自由な「メッセージ(message)」をわたす【言付け】でもない、と。。。