視点感情の【言付け】と対立感情の【言付け】

 <視点感情>とは、ある立場に居ることで生まれる感情を、<対立感情>は対立ありきで生まれる感情をそれぞれ意味しています。<主観>と<客観>の関係に近いと思います。

 <視点感情>は、自己完結した世界になります。詩、音楽、映画、お笑いなど共感を呼び込むとしても、作者の視点に従うもので、それ以上の多様な視点は呼び込みません。作品は独り言に近いもので、見てくれ聞いてくれの芸術全般に当ると思います。ネットでは、言葉以外を含めた完結した作品の投稿です。

 一方、<対立感情>は、対立軸ありきで広がる世界になります。多様な視点をどんどん盛り込むことができます。対立に拘らなくても、あるテーマでいろんな視点を呼び込むこともできます。これらは、雑多な会話やネット掲示板などの批評全般が当ると思います。ネットでは、コメントなどの反応を見込んだ言葉の投稿です。


 <視点感情>と<対立感情>によって、作品は分けられると思います。話題の「岡本太郎壁画への落書き」ですが、私には<対立感情>ありきの批評に過ぎないと思います。便所の落書きと揶揄されるネット掲示板的な風刺漫画のパロディ発想であり、とても芸術とは思えません。

 そして、社会問題の議論には対立感情を基に多様な視点が必要であり、私情を抑えた万人に共通化できる理由を主張しなければなりません。ある視点からの感情を扱う芸術が、議論に参加すれば、宗教的な神学論争を招くだけです。神学論争は、具体的な事実よりも原理信仰という結論ばかりに注目するから、知るべき現実を拒否してしまいます。<視点感情>の感想と<対立感情>の意見は分けなければいけないと思います。


 さて、ネットの【言付け】ですが、<視点感情>の【言付け】はどれくらいあるでしょうか。個人情報を知らない人の【言付け】をどれだけ覗いてくれるでょうか。単なるアンケートなサンプルとして以外には、ネットではほとんど存在できないと思います。

 一方、<対立感情>ありきの【言付け】は、ネットでは多くの視点からの参加者を集めます。こう考えると、ネットは対立するのが当然なのだと思えてきました。もちろん、上手く対立するための言葉遣いがものすごく重要ではあるのですが。