見られない架空の表情で【言付け】するからできる過激表現

 2ちゃんねるでは、「氏ね」などの過激表現が並んでいます。日常ではとても言えないような過激コメントが言えるのはなぜでしょうか。

 <顔文字>の必要性を説明しましたが、<場>を決定するのが表情です。その表情を覆面して隠しているので、表情に比例しない過激発言が可能なのです。コミュニケーションの<場>所属ありきでは、表情は半ば強制されるものです。すなわち、発言も常に抑制されています。こうした抑制によって、秩序が出来上がるのですが、当人がそれぞれ本当に望む秩序とは限りません。マスコミが垂れ流す価値観よりも、自らの価値観とは異なるという不満がネットには蔓延しているのでしょう。

 リアルな世界では、既存の評価や既得権に支配されています。既存の古い価値観とは違うことを主張したいのかもしれません。いずれにしても、身近な人への恨みとは次元が違うように思います。人間性に関係ない評価というのは、過激で残酷なのは当然なのかもしれません。リアルで価値観の対立を繰り返す文化よりも、ある意味有効のように私は思います。