【言付け】において、否定的表現は誤解が大きく残りやすい

 顔が見える【リアル】なコミュニケーションにおいては、<肯定的表現>と<否定的表現>のどちらか一方が特段に誤解を招きやすいことはないだろう。なぜなら、誤解を招くのはいつも[表情]にもとづくものであるからだ。

 <肯定的表現>である[表情]の代表である笑顔は、受け手に過剰な好意として解釈されることが多い。しかし、この誤解にも思える肯定を増幅させて、【リアル】な関係を築いていると言えなくもない。<肯定的表現>による誤解は、むしろ顔が見える【リアル】なコミュニケーションにおいては必要不可欠なのである。


 <否定的表現>である[表情]も、笑顔と同じくらい誤解を生み出しているであろうが、敵意表情などでは、緊張対立よりも関係断絶の方が多いので、誤解であっても<中立的表現>による消極的関係性と大差はない。否定的な表情に誤解があっても、関係が絶たれる否定表情に目指すものはない。結局、肯定的な表情を求めるのが【リアル】コミュニケーションなので、誤解があっても引きずる記憶は要らないのである。

 いずれにしろ[表情]による誤解が、顔が見える【リアル】なコミュニケーションで多いのは至極当然のことであろう。しかし、【リアル】なコミュニケーションは、表現の上積みを続けることができ、主観を調整して相手との関係を修復しやすい。

 さらに、[表情]による誤解は、その誤解が記憶として残りにくいように思う。なぜなら、人間は[表情]を交わしながら、信用を“言葉”に頼っているからである。


 一方、【言付け】コミュニケーションでは、相手の[存在]をつかみきれない上に、[表情]が不足する“言葉”を放つだけですから、誤解が生じた後の主観の調整が難しい。“言葉”が一人歩きしてしまって、誤解がデータとして残ってしまい、それを【言づけ】コミュニケーションで修復しようと思えば、かなりの手間を要してしまう。【言付け】の誤解は、【リアル】コミュニケーションで解消するのがスムーズなのです。

 また、誤解を大きくしやすい【言付け】は、<否定的表現>です。なぜなら、<否定的表現>の【言づけ】には、説明すべき情報が不足しやすく、消極的関係を増長させるので、誤解の溝を広げやすいからです。一般に、<肯定的表現>は、理由がなくても済まされるが、<否定的表現>には必ず理由が必要となり、説明不足になるのが必然です。


 以上、ざっと意見をまとまてみましたが、矛盾だらけのような気も。。。